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すばらしいHP・企画ですね。前へ進むことを願っています。「私のお山」、いろいろな景観や生態系に恵まれていそうで、うらやましい。イラストがあるとうれしいです。

岡本さん、冬の景色入れてみました。

モニドゥーさんせっかく投稿していただいたのにブログ休業状態で“ほったらかし”でした、ゴメンナサイ。
ご来訪心よりお待ちしています。

これまで自然と広く関わりながらたどり着いた大構想に感心しました。自然葬を望む人は意外と多いんじゃないでしょうか。特に家を継がない人、子どものいない人などは。何よりも自分の肉体の最終的な物質=灰が樹木や草花の根元で自然に同化していくのを想像するとき、暗く狭い墓場より悠々としていいです。

モニドゥーとは、アメリカンインディアンの言葉で精霊。
地元、自治体などの理解を得るには時間が掛かるでしょうが、不可能ではないと思います。
精霊が住むようないい森が作れますように。

いつかその森を見させていただきたいと思っています。

森に親しむ方法は様々に考えられます。
しかし、森林整備に関していえば資金、経済を無視することは出来ません。
自然葬はこれまで森林に限らず自然に対して意識レベルの低かった(言い方が良くないですが)方々に対しても、自らの生死観を通じてかなり自然に対する親近感を抱くことが可能であると考えます。
そういった方々が経済的に自然と関ろうという流れは無理の無い“自然の流れ”だと思います。
利潤追求、欲望達成の経済とは異なる経済、お金の流れが美しいと感じるのですが・・・。

青木の森さん、ごもっともな意見でしょう。多くの方がその様な印象をもたれていると強く感じています。
これまで、森(林業)の問題は森の中での解決を、というながれで世の中動いてきたように思います。
しかし、その結果多くの関係者が挫折感、無力感を感じ、迷路に迷い込んでいるようにように感じます。
(大いに個人的な感じ方であり社会全体の感じ方とはかけ離れているかもしれません。
森に限らず、様々な社会問題に共通していますが。)
問題解決(解決しなくとも少しでもいい方向に流れを変える)するためにはいかに多くの部外者が関心を抱くことが出来るかにかかっていると考えるのです。
そのためには必ずしも自然葬である必然性は無いとは思いますが、自然界の流れに自らの生死観を重ねることは全く無関係とも思えません。
とりあえず、自分の考え得る方法としては他に思いつきませんので。
もっと、社会の受け入れやすい方法を具体的に考えておられる方はご一報を。
可能な限り検討いたします。

この枠組みから自然葬をはずしても成り立つ方法はあるでしょう?自然葬への思い入れもわかりますが、一歩引いてみてはいかがです?あなたならほかの方法でもやれるでしょう。せっかくNPO法人を立ち上げるならもう少し一般人を巻き込む方法をとるべきではないでしょうか?

「森林整備・保全」が経済的に成り立つ方法として「自然葬」以外に本当にないのか?「森林整備・保全」と「自然葬」、それぞれに対する考え方は間違っていないと思うが、それをなぜリンクさせなければいけないのかの必然性が理解できない。単純に「森林整備・保全」を考える人々のみでできる事業にすべきではないか?そのほうが、それぞれの問題点に対応する時間の無駄がなくなり、事業に集中でき永続性が保たれると思う。

是非おでかけ下さい。
まずは森と触れ合うことが大切です。期待を裏切ることは無いはずです。そこに新たな感動が生まれることでしょう。
お待ちしています。

こんにちは。HP見せていただきました。
長い時間が蓄積されている森、その後もまた、長い時間が続いていくであろう森、その中にねむる、ということを想像してみました(まだ、一応若いですが)。私も素敵なことだと思います。でも、私は都市民なので、想像力に限りがあります。だから、そのとっかかりとして森に遊びに行きたいです。よろしくお願いいたします。

森や山、川、海。自然の素晴らしさを伝えることは難しいですね。特に言葉で伝えようとすると。
最近つくづくそう思います。
そのことに気づくためには本当は直に接することが何にも増していいのでしょうが。
接しようにも、今の時代、意識しないとなかなかそれすら叶わないのがちょいと寂しいですね。
ましてやそれが自然葬となると・・・。
ん〜、ガンバリマス。皆さん応援よろしくお願いします。

 自然を経済的発展の手段としてしかとらえられなくなってしまった現代社会に生きる人にとって、自然葬は自然と人間との関わりを再認識する大変よい機会になると思います。
 しかし、家を最小単位として明治時代に形成された国家である日本に生きる人にとって、墓のない自然葬を受け入れるには、それを妨げてしまう、個人がとらわれている社会通念が多すぎるのかもしれません。森羅万象の一員である人間が死んでその肉体が土に帰るということは、しごく当たり前のことのはずです。そんな至極当たり前のことに対してこの新聞記事に記載されているような反発が起こってしまうところに、経済至上主義の現代社会に対する苛立ちがあります。
 私たちは、経済至上主義の現代社会を自分たちの手で変えていく努力をしなければならないと思います。国家を単位として認識されることの多い現代社会ですが、家族や地域といった小さな共同体の一員として自分自身をとらえ、社会はそのような共同体の連合であると認識することによって、個人である私たちが社会を作るのだという認識をしなければなりません。そのとき、私たちは私たちがとらわれている様々な社会通念や虚構から自由にならなければならないのです。

なぜ、自然葬なのか」という角度からの補強が必要だね。実際に森で愛する人を弔った人々の感想、心のなかでの自然葬の位置づけなどが、積み上げていければ「力」になると思うけど・・・。結局は、「森を愛する気持ち」が突破口だと思うけど・・・。

「自然葬」という言葉を始めて知りました。いわゆる散骨とは違う意味が込められているのでしょうか。
自然葬、いいと思います。生前から思い出のある場所があれば、そんなところを自然葬の場所としたいし、その後その土地の自然が潤えば、美しい形だと思います。