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Q & A

想定される疑問、既にお聞きした疑問に答えます

(自然葬というものはこれまで日本人が抱いてきた宗教観と相容れないのではないか?)
(科学的にば何ら影響が無いとしても遺灰を森に撒くというようなことは宗教的、感情的にとても受け入れられるものではない)
  • 必ずしも正しいとはいえないが、現在の宗教は本来的な存在意義を見失い、宗教のための宗教になってしまった感があります。その点からすればむしろ自分の考える自然葬のほうがより、宗教的であるとも感じるのです。(ただし、自分としては宗教的な意図は全くありません。)
  • 里山で仕事をしていると、かつてまだ土葬が行われていたであろう頃の、ほとんど石に刻まれた文字すら消えかかった古いお墓をかなり目にすることがあります。遺灰を撒くという行為とは異なりますが、感覚的にはかつてのお墓に対しての捉え方に意外と近いようにも思えます。
  • 自然葬というものが本当に宗教的に受け入れられないものかは議論の余地があるように思います。
(地域のイメージに悪影響を及ぼす。)
  • あえて地域主体で自然葬ということを通じて環境保全や地域の活性化への取り組みをすることは近い将来、地域全体のイメージアップにつながるはずです。
  • 農業地帯や観光地であったとしてもそれが地域での合意の下、節度をもって為されるのであれば、風評被害を巻き起こすということはまず無いと思います。
  • おそらく先駆者としての生みの苦労はありますが、そこでの成功は、必ず追随事例の目標となることでしょう。どうせなら、先駆者となるべきです。
  • 先ずは実際に整備をしてきた森を見て、それが本当に気持ちの悪い場所となり得るのか、判断の材料としていただきたいものです。
(再生の森が水源涵養機能を伴う場所であった場合に問題は無いのか?)
  • 一人1キロの遺灰を撒いても1000人で1トン、面積にも因りますが、仮に飛散したとしても、大規模な農業地帯で使用される化学肥料・薬剤あるいは土壌の流失ほどの影響は無いはずです。
  • 仮に流失したとしても骨の主成分は燐酸カルシウムであり科学的、物理的には何らの影響も無いでしょう。
  • むしろ問題にするのであれば放置林におけるゴミの不法投棄であり、適切な森林管理はそのような行為を規制するという二次的効果もあるはずです。
  • 再生の森周辺では極力裸地は作らず、飛散防止効果を高めるということも可能です。
  • 再生の森、ならびにその周辺林を整備すること自体が森の水源涵養効果を高めます。
(再生の森の所有形態は?)
  • 自然葬は個人あるいは一事業体が営利目的で展開することは望ましいこととは考えません。たとえば地域の共同墓地同様に地域全体で管理できる組織作りが必要です。しかし、管理する事業体がしっかりしていれば再生の森の所有形態は個人・組織どちらであっても問題ないと考えます 。
(北海道の長沼町では自然葬が条例で規制されているがそのことについてはどのように考えるのか?)
  • それぞれの地域がそれぞれの状況に応じて条例により自然葬を規制するのであれば勿論それに従うべきです。むしろ、お墓に関して“墓埋法”というものがあるように、自然葬についても何らかの法的制限を設け、その枠内で実施する方が社会全体からの理解が得られやすいと考えますし、節度の維持にもつながるものと考えます。
  • ただし自然葬(墓地以外での散灰)を全面的に禁止する条例(長沼町の例)は憲法で認められた基本的人権の一つである葬送の自由を侵害するものであるとの見解もあります。
(既にいくつかの再生の森があるというがそこではどうなっているのか?)
  • 積極的に地元への説明はしていません(どちらかと言えば秘密)。
  • 地域と共同での自然葬の提案は全国でも私が始めてでしょう。
  • 自分以外に山作りと自然葬を積極的に関連付ける活動をしている人間はいないと思います。
(自分と葬送の自由をすすめる会との関係は?)
  • 葬送の自由をすすめる会の一会員ではあるがこの計画については、自らの考えによるもので、会としての意思は働いていません。むしろ、会に対しても外部からの刺激になるような活動を展開したいと考えます。
  • 将来的には、全国各地に、独自の団体が管理する再生の森が散在し、すすめる会はそこを利用することで地域支援をするということが理想的な形であると考えます。
(「自然葬」が目的なのか、それとも「森林保全」を主たる目的とし「自然葬」は単なる手段なのか?)
  • 自然葬、環境保全いずれにも大いに意義を感じています。環境の問題を語らずに自然葬のみを語ることには無理を感じます。また、環境保全もそれだけではなかなか活動の幅が広がりにくく、経済的にも行き詰まりやすいでしょう。やはり、何らかの確固たる経済的な支持基盤が必要であり、行政と無償のボランティア活動のみに環境保全という重要な問題を委ねるのは問題です。厳しい言い方をすれば無責任とも言えます。自然葬と環境保全をあわせて考えることが非常に合理的であると感じると共に、相互の活動の幅が格段に広がりを持つと思われます。
(個人の儲けについては?)
  • 今現在様々な場所で自然葬、あるいはそれに類することが行われています。自然葬はある意味では手っ取り早い金儲けに直結し易い事業であると思います。しかし、人の死や、自然を安易な金儲けの手段とはしたくはありません。そこには、確固たる理念と、モラルが必要であると考え、そのためにも地域のご理解と参加が必要です。
  • 個人あるいは組織の利益追求のみが目的であれば、まったくつまらない、無意味な事業になってしまうと考えます。もちろん、それが宗教法人であったとしても同様です。
  • 現在の森林所有者にとって森林を所有、管理することのメリットが無いという状況が、森林管理への積極的関与の動機付けを無くしてしまっているので、個人所有の山林を事業体がしっかり管理し、妥当な利益を得ることは良いことと考えます。
(NPOが金を儲けていいのか?)
  • 自分の考えるNPOは基本的には自然葬を行うことで得られる資金で林業をバックアップし森林環境整備・保全活動を行い、それに関る啓発活動を展開することと考えています。それは公共の利益となることであり、NPOの理念に反するものではありません。また、NPOの職員がNPO活動で所得を得ることに関しては何ら問題も無く、勿論、職員個々は、所得に応じた税金を納めることでは、一般のサラリーマンと変わることはないはずです。
  • 現在多くの方々は、NPO活動は無償のボランティア活動であるものとの勘違いをされているようですが、本来NPOの活動は大きな社会的責任を負ったものであり、その活動に継続性を求めるのであれば、当然のこととして職員の身分保障が必須となります。
  • 究極のNPOともいえる国連の活動が今日縮小傾向になりつつあることも、資金難がその大きな要因としてマスコミ等の報道で取り上げられています。
(自然葬とは具体的にはどのように実施するのか?)
  • 自然葬では粉末化した遺骨を決められた範囲において、ご遺族の気に入った場所に撒きます。しかし、「墓地、埋葬等に関する法律」(墓埋法)の規制により穴を掘り埋めることは出来ません。
  • 遺灰を撒いた場所を示す人工物は何もありません。しかし、そこにある樹木を気に入った方がいた場合には何人でもその根元に撒くということが出来ます。その点では森のスペースを皆で共同利用しているともいえます。
  • 意図的に個人の散灰場所を示すような物を置くことはしませんが、森の入り口などに森林整備の協力者のような形で合同の記名版のようなものを設置することはいいのではないかと考えます。
(森での記念植樹はできるのか?)
  • 生態系の維持に反しない限り積極的に記念植樹を行うことで森との精神的な繫がりを感じていただきたいと思います。後に、そこに散灰をすることも良いでしょう。
(再生の森への出入りは?)
  • 私個人としては再生の森では自然葬をする以外の方の出入りをあまり規制することなく、地域住民をはじめとして、自然と親しむことを望む方には積極的に開放したいと考えています。特にその様な場所を環境教育の場として利用することは良いのではないかと考えます。ただし、自然葬を行っている神聖な場所として相応しくないような行動は謹んでいただきます。
(自然葬と樹木葬の違いは?)
  • 樹木葬とはもともと岩手県一関市の祥雲寺ご住職、千坂げんぽう氏が “樹木葬墓地”で始められたことです。樹木葬墓地とは「墓地、埋葬等に関する法律」(墓埋法)で規定される墓地である点が“再生の森”とのおおきな違いとなります。
  • 樹木葬墓地では区画が決められていて、お骨を埋葬した後、その上に、樹木を植えるという方法をとっているそうです。個人的には樹木葬も魅力的で、自然葬の理念と通じあうものを感じています。
  • むしろ現在のような社会情勢下では環境保全のような公的な問題に関しては宗教が積極的に関与すべきであると考えます。そういった意味では祥雲寺をはじめとする一部の仏教寺院が行っている樹木葬は大いに評価すべきだと思います。
  • 樹木葬は宗教法人として、私の考える自然葬では林業関係者として、それぞれの立場でそれぞれの出来る限りのことを追求した結果の現れであり、優劣を競うような性質のものではないと考えます。

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お寄せいただいたコメント

青木の森さん、ごもっともな意見でしょう。多くの方がその様な印象をもたれていると強く感じています。
これまで、森(林業)の問題は森の中での解決を、というながれで世の中動いてきたように思います。
しかし、その結果多くの関係者が挫折感、無力感を感じ、迷路に迷い込んでいるようにように感じます。
(大いに個人的な感じ方であり社会全体の感じ方とはかけ離れているかもしれません。
森に限らず、様々な社会問題に共通していますが。)
問題解決(解決しなくとも少しでもいい方向に流れを変える)するためにはいかに多くの部外者が関心を抱くことが出来るかにかかっていると考えるのです。
そのためには必ずしも自然葬である必然性は無いとは思いますが、自然界の流れに自らの生死観を重ねることは全く無関係とも思えません。
とりあえず、自分の考え得る方法としては他に思いつきませんので。
もっと、社会の受け入れやすい方法を具体的に考えておられる方はご一報を。
可能な限り検討いたします。

「森林整備・保全」が経済的に成り立つ方法として「自然葬」以外に本当にないのか?「森林整備・保全」と「自然葬」、それぞれに対する考え方は間違っていないと思うが、それをなぜリンクさせなければいけないのかの必然性が理解できない。単純に「森林整備・保全」を考える人々のみでできる事業にすべきではないか?そのほうが、それぞれの問題点に対応する時間の無駄がなくなり、事業に集中でき永続性が保たれると思う。

なぜ、自然葬なのか」という角度からの補強が必要だね。実際に森で愛する人を弔った人々の感想、心のなかでの自然葬の位置づけなどが、積み上げていければ「力」になると思うけど・・・。結局は、「森を愛する気持ち」が突破口だと思うけど・・・。

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